愛媛 西条 パチンコ「住みたい街」5年連続トップの横浜 住民だけでなく企業からも人気を博し続ける納得の理由パチンコ やめて ほしい。 ヴァルキュリア スロットk8 カジノ
エルドア ログイン k8slots.com 横浜は不思議な街だ。図書館数、蔵書数や子どもに対する医療費助成などに文句を言う人が少なくない一方で「SUUMO住みたい街(駅)ランキング 首都圏版」(リクルート調べ)では5年連続トップに君臨し続けており、街としての人気は非常に高い。不満だけいわれる、愛されていない街もある中で、多少の不満はあったとしても、それ以上に愛されている街というわけだが、なぜ、そこまで愛されているのだろうか。
5年連続で「住みたい街」首都圏版トップの横浜市(出所:SUUMO住みたい街(駅)ランキング2022 首都圏版)
筆者は長らく疑問に思ってきたのだが、ある日、解決の糸口になりそうな出来事に遭遇した。それが2007年に“日本初”の地域アーツカウンシルとして生まれたアーツコミッション・ヨコハマ(以下ACY)の15周年イベントだ。ちなみに文化庁の定義を基にアーツカウンシルを説明すると、「芸術文化に対する助成を基軸に、政府と一定の距離を保ちながら、文化政策の執行を担う専門機関」である。
アートを支援する団体のイベントということで、何となく絵画や彫刻など、美術館に飾られているようなものをイメージしていたのだが、展示されていた中には横浜の風景を写した写真も多く、「これがアート?」と首を傾げた。
例えば、横浜駅西口の仮囲いや街中のあちこちにある歩行者案内地図、みなとみらいにあるグランモール公園、赤レンガ倉庫1号館のサイネージ、象の鼻パーク/テラス、横浜みらとみらい本町小学校、左近山アートフェスティバル、図書館で演劇を行う「テアトル図書館」、横浜市交通局広報誌ぐるっと――。
もちろん、演劇やアートイベントも対象となっていたが、それと同じくらい、街中の建物、空間、サイン計画その他、私たちが日常目にするものが多く含まれていたのである。風景は自然にそこにあるものと考えがちだが、横浜ではそれが意図して作られてきており、文化芸術創造都市・横浜(文化芸術の創造性を生かした港町・横浜ならではの魅力づくり)という文脈で、その一端をACYが担ってきた。この「文化芸術創造都市」というコンセプトは、現在の横浜を形づくってきた「都市デザイン」の考えから派生している。
撮影/森 日出夫米軍接収により復興が遅れた歴史
横浜市における都市デザインの始まりは、1960年代にさかのぼる。空襲で市街地の多くが焼失、焦土となった戦後の横浜は港湾、中心部を長らく米軍に接収されていた。戦後すぐに復興を始められた東京、その他の都市に大きく水を開けられていたのだ。市内の企業は流出し、今では想像できないだろうが、横浜の中心部は雑草の生えた空き地だらけで関内牧場などと呼ばれていたりしたという。
50年代には、高度経済成長期を迎えた東京のベッドタウンとして無秩序な市街化が始まり、45年に62万人だった人口は65年に178万人まで膨張、さらにその10年後の1975年には262万人と増加は続いた。未熟な住宅地の造設や急激な人口増加は、農地・山林の破壊、学校・保育園や道路・下水道などの不足を始め、鉄道や幹線道路の整備の必要、就業機会の創出その他さまざまな問題を引き起こした。
そうした事態を受けて、横浜市は60年代後半に自律的な都市を構築していくために3つの基本戦略を打ち出していく。
横浜市が注力する「都市デザイン」とはk8 カジノ
インターカジノ ブラックジャック 基本戦略の一つは、65年に示された港北ニュータウン、地下鉄、高速道路やベイブリッジなどの「6大事業」である。
一方、街は公共のプロジェクトだけで作られるものではなく、民間の開発も数多く存在する。そこで、土地利用を適切にコントロールすることが2つ目の戦略として模索された。そして3つ目の戦略が、「都市デザイン手法の導入」である。この都市デザインによって、横浜らしい風景が作られてきた。
筆者が特筆すべきだと思うのは、ミニ東京になろうとするのではなく、横浜らしさにこだわって風景を作ってきたという点だ。60年代以降、多くの街ではユニバーサルな技術、経済合理性最優先がよしとされ、地方はどんどん均質化してきた。国が景観法を公布したのが2004年であり、一方、横浜市に都市デザイン担当セクションが誕生したのが71年と聞けば、意識の違いが理解できよう。
横浜市の桂有生氏(都市整備局企画部都市デザイン室)は、「横浜は開港の歴史と、その成果である新しいものを受け入れることをよしとしてきた街」と話す。
「古さ(伝統)では京都や高山に勝てない。新しいものだけでも東京に勝てない。海だけなら湘南に負ける。新しいものと古いもの、港を組み合わせることで横浜らしい風景をこの50年磨いてきました。当初から掲げていた、『個性と魅力のある人間中心の街』を作るという、当時からしたら異端のようにも聞こえた言葉が、50年たってようやく普遍的になってきたともいえます」(桂氏)
都市デザイン室には、最近まで、部署創設以来40年間にわたり都市デザイン行政に関わって来た国吉直行氏がおり、ノウハウを蓄積してきたことも大きいという。長期的な視野で、他にはない横浜らしい風景を作り上げてきた。
統一感のある景観をデザイン
桂氏がいくつか挙げた例のうち、分かりやすいものをお見せしよう。一つは、関内の中心にあるシンボルロード、日本大通り。1866年に起きた大火の後に作られた日本最初の西洋式街路で、延焼を防止するため、幅員は36メートルもある。だが、04年のみなとみらい線整備時に再整備されるまでは単に広いだけの道路だった。
再整備に合わせ、歩道を広げて自然石舗装を施し、歩道と車道の間の段差を極力減らして安全に、かつイベント開催時には一体的に使えるようにした。車止め、照明灯などには重厚感のある鋳鉄を使って色味をダークグレーに統一。周辺の歴史的建造物と調和したデザインになっている。道路のアスファルトにも黄、赤、灰色の骨材を混ぜて周囲の建物などと調和するよう色彩を調整してあるという。
撮影/森 日出夫
撮影/森 日出夫「売れる」街に変貌 企業コラボのイベントも盛況k8 カジノ
カジノ シークレット 出 金 ペンディング さらに「なるほど」と思ったデザインもある。現在の日本大通りの先には象の鼻テラスがあり、眺望が抜けている。日本大通りの整備を行った時点では、建物が並んでおり、眺望が抜けきっていない状態だった。そこで、いずれは遠く海まで見晴らせるような眺望を実現する狙いで、さまざまな改良を施した。具体的には、道路標識を移動し、駅の出入り口の屋根をガラスにした他、照明灯が悪目立ちしないよう、樹木のあるラインにまで後退させるなど、眺望を遮らないようにしたのだ。
その結果が、訪れた人たちが目にする気持ちのよい、そして“絵”になる日本大通りである。それぞれの工夫は小さなものだが、それが一つの場所にいくつも重ねられ、さらに長い間をかけて少しずつ作られてきた結果が、横浜らしい風景に凝縮されているのである。
むろん、こうしたデザインの工夫が凝らされているのは日本大通りだけではない。みなとみらいの高層ビル群と赤レンガ倉庫の「新旧」そして「高低」の並ぶ風景も、港北ニュータウンの「住」と「農」が併存する緑の環境も、そして郊外の駅や役所の佇まいその他も、同様にデザインされているのである。もちろん、民間の開発事業者との間で協議が不発だった例もあり、全てがうまくいっているというわけではないというが、それでも市中の多くの場に風景全体を考える目が生かされているのである。
都市でありながら緑の環境も充実している(提供:横浜市)デザインの行き届いた風景で「売れる」街に
その結果、横浜の都市空間は、いわゆる「売れる」ものになっていると話すのが、横浜市の貝田泰史氏(政策局シティプロモーション推進室広報戦略・プロモーション課長)だ。
大きな誘致活動をしているわけではないにもかかわらず、市のフィルムコミッションには年間700~800件の撮影相談があるといい、個別施設への直接の問い合わせも含めれば、さらに多いと推察できる。都心部だけでなく、ニュータウンや住宅街なども撮影などによく使われているそうだ。
イベントの舞台としてもさまざまな場所が使われている。代表的なものが14~19年に毎夏1週間ほど行われていた「ピカチュウ大量発生チュウ!」と題したイベント。
6年にわたり開催したポケモンとのコラボイベント(提供:横浜市)
「臨港パーク、赤レンガ倉庫、日本大通り、山下公園、象の鼻パークなど、横浜市内には魅力的な借景となる公共空間のバリエーションが豊富にあります。ホールや、ただ広いだけの空間があるような場所にはない表現ができます。
それを見込んで、ポケモン社側から提案があり、6年間で延べ1213万人を動員しました。それ以外でも、『ファイナルファンタジー』30周年の際に行ったホテル自体をスクリーンにしたプロジェクションマッピングでは2日間で10万人が集まりましたし、22年で4年目になる『ヨルノヨ』という、冬に夜景を楽しむイベントでは、21年に131万人が集まっています。さまざまなコンテンツと景観が一体となって街のイメージ、憧れを醸成していると考えています」(貝田氏)
人気ゲーム『ファイナルファンタジー』とのコラボでは2日間で10万人が集まった(提供:横浜市)
実際、少し古い調査にはなるが、12年に文化観光局横浜魅力づくり室企画課が行ったアンケート調査では、横浜の魅力第1位は「街並み・景観」、ついで「夜景」となっている。また20年に文化観光局観光振興課が実施した外国人旅行者を対象にした調査では、街歩きを楽しみに来訪する人が日本全体の平均より多いことも分かっている。
既視感のない景観がブランディングにつながるk8 カジノ
女子 サッカー プロ 契約 風景にそれほどの価値があるものか、と思う人もいるだろうが、新宿区を訪れたことのない多くの人が「新宿区=歌舞伎町」とイメージするように、「風景=目にしたもの」が街のイメージの大半を形作っているのである。とすると、横浜市が50年をかけて営々と築き上げてきた風景を、横浜が好きという人を生み出す一つの大きな要素として考えるのは妥当だろう。
横浜市の取り組みを概観して気付かされるのは、景観にこだわることの重要性だ。良好な都市景観の形成を目的として自治体が制定する景観条例は、行政による制約のように感じられることがある。看板の色や形に口出しされたり、ビルのボリューム、高さなどに制限が掛けられたり、また協議に時間を取られるのは特にビジネスにおいてマイナス面に受け止められることも多いが、それを全体として街の価値を上げる方途と考えたらどうだろう。
現代では、どんなによい商品を作ってもそれが伝わるパッケージやコピーがなければヒットにつながらないことはよくある。街も同様と考えれば、都市としてのスペック+景観が街の個性、選ばれる街の要素になるとは考えられないだろうか。つまり、景観への取り組みは、ネガティブなものではなく、ポジティブな差別化、ブランディングのためのツールというわけである。
そう考えると街の見え方が少し変わる。他の街、隣の街と同じ風景にすればよしとしている自治体がこれからも選ばれるかどうか、街の独自性とは何か。都市としての基盤に加えて見た目から街を考えるという手もあるのではなかろうか。
都市デザインは「景観」にとどまらない
最後に一つ、都市デザインというものについて書いておきたい。一般には景観という言葉を使うことが多いが、横浜市は一貫して都市デザインという言葉を使ってきている。21年は横浜市に都市デザイン部署ができて50周年ということでイベントが開催され、歴史を振り返る書籍も出版された。その中に、都市デザインチームの初代リーダーだった岩崎駿介氏が都市デザインについて書いているパートがある。景観とは明らかに異なるニュアンスがあり、それを読むと横浜が選ばれる理由が見えてくる。以下、該当箇所を引用する。
「都市デザインはかっこよくすることではなく、人と人とのコミュニケーションを通して、都市を人間的な豊かな場にすることが基本で、単なるフィジカルデザイン(物的設計)ではなくてソーシャルデザイン(社会設計)であり、空間の形を通して孤独から共感に至る幾重もの『コミュニケーション装置』をつくることが大事なのです」(横浜都市デザイン50周年事業実行委員会・横浜市都市整備局(2022)『都市デザイン横浜 個性と魅力あるまちをつくる』BankART1929)
この精神を反映してか、同書籍に収蔵しているほとんどの写真には人の姿があり、街が人のためにあり、人に使われていることが分かるようになっている。その楽しそうな、共感を呼ぶ姿が、横浜という街の魅力でもあるだろう。
著者プロフィール
中川寛子(なかがわ ひろこ/東京情報堂代表)
住まいと街の解説者。(株)東京情報堂代表取締役。路線価図で街歩き主宰。
40年近く不動産を中心にした編集業務に携わり、近年は地盤、行政サービス、空き家、まちづくりその他まちをテーマにした取材、原稿が多い。
主な著書に「解決!空き家問題」「東京格差 浮かぶ街、沈む街」(ちくま新書)「空き家再生でみんなが稼げる地元をつくる がもよんモデルの秘密」(学芸出版社)など。宅地建物取引士、行政書士有資格者。日本地理学会、日本地形学連合、東京スリバチ学会会員。
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