パチンコ 前橋ファイナルファイトが導いた「ストII社会現象」 高コスト開発でメガヒットを実現した社内風土サイバー パチンコ 乙川 店 愛知 県 半田 市

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top bets カプコンの大人気格闘ゲーム『ストリートファイター』シリーズが、今年で35周年を迎えている。1987年に1作目がアーケードゲームとして登場し、4年後の91年から稼働している『ストリートファイターII(ストII)』が世界的な大ヒット。アニメ化やハリウッド実写映画化もされ、2D格闘ゲームの代名詞となった。

 『ストII』以降も現在に至るまで作品は続いていて、2023年には『ストリートファイター6』も登場予定だ。

「ストリートファイター『俺より強いやつらの世界展』」が11月18日から大阪で開催される。写真は2~3月に開催された東京会場(以下写真は©CAPCOM CO., LTD. ALL RIGHTS RESERVED.)

 一方で、『ストII』の人気は根強く、30年以上経った今もなお、多くの企業間コラボが展開されている。例えば、17年3月にはトヨタ自動車のSUV「C-HR」とのコラボが実施され、ゲーム中の車を破壊するボーナスステージに「C-HR」が登場した。

 22年6月には、『ストリートファイター』35周年の一環としてサントリーの「天然水スパークリング」とのコラボ商品も販売された。18年には佐賀県と『ストII』に登場するキャラクター「サガット」がコラボし、「ストリートファイター佐賀」というキャンペーン行事が30周年行事として開催。地方自治体とのコラボも展開している。

「天然水スパークリング」とのコラボ商品

 これまでシリーズで8作品以上が展開されてきた中でも、『ストII』はシリーズの顔であり続けている。

 『ストII』は今や30年以上前の作品であり、そのスタッフの多くがカプコンを離れている。そんな中で、『ストII』の開発に携わり、現在も後進の育成などにまい進するクリエイターがいる。岡野正衛(SHOEI)さんだ。岡野さんはカプコンのアートプロダクション室に所属し、今も同社作品のイラスト制作管理などに携わっている。

 岡野さんによると、当時画期的だったシステムや動きを『ストII』が実現できた背景には、1989年のゲーム『ファイナルファイト』の大ヒットがあるという。なぜ『ストII』は当時、高いクオリティーを実現できたのか。前編【なぜストリートファイターの代表作は『スト2』なのか? 開発者が明かす当時の社内組織】に続き、後編はその誕生秘話をお届けする。

カプコンのアートプロダクション室の岡野正衛(SHOEI)さんファイナルファイトのヒット

――前編【なぜストリートファイターの代表作は『スト2』なのか? 開発者が明かす当時の社内組織】では、大容量のROMが『ストII』に搭載された経緯を聞きました。この大容量のROMが『ファイナルファイト』の大ヒットを受けて作られたものということですが、どんな関係があるのでしょうか。

 1987年に1作目の『ストリートファイター』がアーケードに登場しました。それ以降、内容をブラッシュアップし、駆け引きのできる本格的な対戦格闘ゲームという『ストII』の企画自体は早くから出来上がっていました。

 ところが、この企画を実現するためには、ROMの容量と開発スタッフの人手の数が全然足りていなかったのです。当時のROMは非常に高くて、ゲームの基盤に、そんなに高価なROMを搭載するのは非現実的なところがありました。そこで開発されたのが、『ファイナルファイト』だったんです。

『ファイナルファイト』

――『ファイナルファイト』といえば、敵を倒しながらステージを横に進んでいく「ベルトスクロールアクション」で金字塔を打ち立てたカプコンの代表作ですね。

 当時ベルトスクロールアクションが海外を中心に流行(はや)っていました。これを受けて、『ファイナルファイト』というアーケードゲームを1989年に出したのですが、これが世界的な大ヒットになりました。

 この『ファイナルファイト』はもともと、『ストリートファイター'89』というタイトルで開発されていたものだったんですが、社内外から「『ストリートファイター』は対戦格闘ゲームでしょ」という要望があり、『ストリートファイター』の続編は別で開発する流れとなりました。

『ファイナルファイト』『ファイナルファイト』320万本を売り上げた『ファイナルファイト』k8 カジノ 320万本を売り上げた『ファイナルファイト』

パチスロ せん ちゃん k888vip.fun――『ファイナルファイト』もシリーズ化し、全世界累計で320万本を売り上げる大ヒット作になっています。

 当時のカプコンでは『ファイナルファイト』が最もアーケードでヒットした作品でした。そして、この大ヒットを受けて開発資金に余裕ができたことで、大容量のROMを搭載したアーケード基板のゲームが開発できるようになりました。開発環境だけでなく、開発のスタッフも社内で多く回してもらえるようになりました。

――結果『ファイナルファイト』のROMの容量が3.31メガバイトだったのに対し、『ストII』は6メガバイトと倍増したんですね。

 その通りです。また同様に、『ファイナルファイト』では3人だったプレイヤーキャラクターの数も『ストII』では8人、さらに敵の四天王も入れて12人のキャラクターが戦う作品になりました。キャラクターの動きも『ファイナルファイト』よりも多彩になっていると思います。当時にしたら非常に大容量のゲームができたというわけです。

――『ファイナルファイト』の成功が社内組織の好循環を生み、『ストII』誕生につながったというわけですね。

 そう思います。『ファイナルファイト』は『ストII』を語る上で、非常に重要なタイトルですね。デザイナースタッフも西谷さんと安田さんで同じですし、作品世界の設定も共有していて、『ストII』の世界観にかなり生かされています。『ファイナルファイト』のキャラクターが『ストリートファイター』シリーズにも登場していますしね。

――『ストII』のオープニングに登場する都会のストリートファイトと高層ビルは、『ファイナルファイト』の舞台、メトロシティを彷彿とさせますね。

 オープニングは初期の頃からできていたと思います。企画もノリノリで楽しんで作っていたように思います。

『ファイナルファイト』の舞台、メトロシティを彷彿とさせる(サントリー食品インターナショナルのプレスリリースより)

――『ファイナルファイト』の開発の経験が『ストII』に生きたことはありますか。

 入社してから小さいキャラクターを作ることがほとんどだったので、直接パソコンの画面上でドットを打ち込んで作っていました。ところが『ファイナルファイト』以降、キャラクターが大きくなったことによって、パソコンにドットを打ち込む前に紙に「パターン画」と呼ばれる下書きを描いて、それをスキャンニングしてドットを打って絵作りをします。

 キャラクターの表情や細かい動きもドットで表現する必要があるので、『ストII』でも踏襲されています。

――『ファイナルファイト』の成功が『ストII』というさらなるヒットを呼び、組織としてうまくいった代表的な事例になった気がします。

 実際に社内の空気はすごく良かったのを覚えています。僕のあとにも『ストII』の開発スタッフがどんどん増えていって、すごく活気あふれるチームでした。会社の上層部に現場の人間が直接相談できる風通しの良さもあったと思います。

――その風通しの良さが、現場スタッフの悲願だったROMの容量倍増の実現につながったと言えそうですね。

 1作目は容量の制約から、多くのやりたかったことを諦めざるを得ませんでしたので、開発現場の人間からしたらこれは悲願でした。

 『ファイナルファイト』の成功によって、ROM容量が増えたことで、『ストII』の企画が本格的にスタートした流れは確実にありますね。

チームワークの良さが好循環を生んだk8 カジノ チームワークの良さが好循環を生んだ

愛知 県 の パチンコ 屋――『ストII』の開発は社を挙げた体制だったようにも思えるのですが、どのくらいの人員を割いていたのでしょうか。

 当時の社員数は1000人にも満たなかったと思います。当時の本社ビルは7階建ての社屋で、そのワンフロアの半分ほどが『ストII』の開発エリアでしたね。あの頃は営業や総務など他の部署も全て一つのビルに入っていましたから、そう考えると結構な面積を占めていたのではないかと思います。

現在のカプコンの社屋

――こうして大容量のROMをもとに『ストII』の開発が始まりました。結果、前編でも話されたように、当時最先端の大容量ROMでも容量を削らないとデータが入りきらないほどの作り込みとなりました。開発期間はどれくらいかかったのでしょうか。

 僕はキャラクターの担当のため、その工程が終わると途中で抜けてしまうので、いつ終わったかは把握できていません。僕自身は恐らく1年いなかったと思います。僕が抜けたあとにプログラマーやゲームデザイナーがゲーム調整などの工程に入りますので、それを入れたら恐らく1年以上はやっていると思います。

――そして『ストII』は『ファイナルファイト』を遙かに超えるメガヒットになります。ディレクターの西谷亮さんや、アートディレクターの安田朗さんにとってみては、2作続けて大ヒットを飛ばした形になります。開発時から『ストII』は売れる確信はあったのでしょうか。

 西谷さんや安田さんは絶対に売れると確信を持っていましたね。特に西谷さんはご自身で米国の市場を直接見て回り、見知らぬ他人同士がゲームセンターでわいわいして騒ぐ光景も目の当たりにしていた様です。

 キャラクター制作の僕らは2人の出す指示を信頼して、ただただひたすら制作をしていきましたが、作る過程の中であきらかにこれまでに感じなかった、キャラを生み出す楽しさや、それをメンバー同士でブラッシュアップできる、チームワークの良さはとても感じました。

 西谷さんご本人もかなりのゲーマーですから、消費者が望んでいるものが何かを把握し尽くしていましたね。『ファイナルファイト』の時も、西谷さんの読みが全て当たる形で、ヒットしたと言っても過言ではありません。

――たまたま作品が続けて当たったのではなく、ロジカルに当てに行ったわけですね。

 『ストII』の時も、最初はプレイヤーが一人で四天王を倒すモードを遊ぶ人が多かったのですが、次第に乱入して知らない人同士が戦うのが主流になっていきました。こうなる流れも開発当初から推測していた様です。

「遊び続けられる」ビジネス的な巧みさk8 カジノ 「遊び続けられる」ビジネス的な巧みさ

パチンコ パチスロ ドット コム k888vip.fun――『ストII』のビジネス的な巧みさは、普通のゲームだとボスを倒してクリアしてしまうとそれで終わりになってしまいますが、対人格闘ゲームを念頭に置いたことで、1年以上にわたって優に遊び続けられる点にあると思います。しかも対人戦となれば2人同時に遊ぶわけですから、時間あたりの筐体の収益も倍になります。

 『ストII』シリーズの展開としても、最初はラスボスであるベガを倒すことにプレイヤー側も主軸を置いていたのですが、次第に日本でも知らない人同士が戦う対人格闘戦が広まってきました。それで『ストII』発売から1年後の92年4月には、リュウ同士やケン同士といった、同キャラ対戦可能な『ストII'(ダッシュ)』という改良版を発売しました。

――まさに、この流れは西谷さんの読み通りだったわけですね。

 ゲームのストーリーとしては、リュウが2人いるのはもちろんおかしいわけですが、プレイヤー側のニーズを考えれば、完全に同じキャラクターで戦いたいというのは当然の流れでした。

 さらに『ダッシュ』では、プレイヤーが使えなかった四天王というボスキャラクターも使えるようになり、8体から12体のキャラクターで遊べるようになりました。これ以外にも、『ダッシュ』にはさまざまなキャラクター間のバランス調整がされています。

――ユーザーの動向やニーズを把握して作っているのも『ストII』大ヒットの要因だと言えますね。当時はインターネットもない時代ですが、ユーザーの声を拾い上げる仕組みは、どのようなものがあったのでしょうか。

 当時はユーザーさまから送られてくるハガキや、ゲーム雑誌経由ですね。特にゲーム雑誌のライターさんはゲームをやり込んでおられすので、彼らからの情報はとても貴重でした。また地方のゲームセンターでよく『ストII』の対戦会が開かれていましたので、そういった現場から情報が吸い上げられていたと思います。

――アーケードだけでなく、92年6月10日に発売したスーパーファミコン版『ストII』も全世界630万本の販売本数と大ヒットしました。

 スーファミ版はアーケードのスタッフは関わらず、別の開発チームで移植を行いました。

 家庭用ゲーム機だとさらに容量の制約が厳しいですから、パターンがだいぶ削られていたり、アーケード以上のさまざまな制約の中でよくできています。何より家庭で好きな時に遊べるのは良いですね。

――30年経ってもなお、『ストリートファイター』を語る上で必ず『ストII』が登場するわけですが、この状況をどうみますか。

 大変うれしく光栄なことです。シリーズ全体を振り返るとやはり『ストII』ありきで語られるのはそれだけ世界に与えた影響が大きいタイトルなのかなと思います。『ストIV』や『ストV』が登場した時も、『ストII』とセットになることがあります。しかし来年リリース予定の『スト6』をはじめ、新作が出た時はそれをメインに推していきたいですね。

コラボが増えた理由は?k8 カジノ “プレイヤー”は企業の経営者や管理職に

zaif 信用 取引――『ストII』の開発に携わったことで、岡野さんにとって人生が変わったと思えることはありますか?

 『ストII』の開発に携わっていなければ、今この場にいなかったと思います。それまではアーケードゲームで専門の書籍が出ることはあまりなかったのですが、描きおろしが必須になったり、グッズ用のイラストを依頼されたり、「ストII」以降に絵の仕事の機会が一気に増えました。

 『ストII』は1994年にアニメが映画になりました。同じ94年にハリウッドでの実写映画化、翌95年には日本でテレビアニメ化もされました。自分が携わった作品でそんなことはこれまでありませんでした。

 ゲーム以外のメディアに参加できるという、夢のような現象が間髪なく訪れて、貴重な体験の連続でした。

――『ストII』はゲーム会社が版元としてメディアミックス展開していく先進的な事例にもなりました。その中でも、アニメ映画主題歌になった篠原涼子さんの「恋しさと せつなさと 心強さと」はCD売り上げが200万枚を突破し、いわゆる“アニソン”としてはこれまで最も売れたタイトルになっています。

 ゲームをやったことのない人でも篠原涼子さんの歌は知っていたりするほどの社会現象になりましたね。ただ、世間では『ストII』の歌というより(作詞作曲の)小室哲哉さんの歌として認知されているかなと思います。

 今年、篠原涼子さんと小室哲哉さんが再タッグを組んで、「恋しさと せつなさと 心強さと 2023」をリリースしましたね。こちらは2023年に発売予定の『ストリートファイター6』の日本イメージソングとなっています。

『ストリートファイター6』の日本イメージソングに、篠原涼子 with t.komuro 「恋しさと せつなさと 心強さと 2023」が決定した(プレスリリースより)

――『ストII』が発売してから30年以上が経っていますが、『ストII』の見方に対する周囲や社会の変化を感じる部分はありますか。

 シリーズの新作が出るたびに『ストII』が毎回引き合いに出されるわけですが、それでも着実に時間が経過していると思う面もあります。当時ゲームセンターや家庭用で遊んでいた方々が偉くなって、企業の経営者や管理職になられている方も多くなりました。そのつながりで、新しく『ストII』でコラボしたいというお話をいただけるようになりました。

――『機動戦士ガンダム』でも同じようなことが起きていると、以前バンダイナムコの取材でも聞きました。

 『ストII』全盛だった当時は、社外の仕事はゲーム雑誌などメディアの仕事が中心でしたが、今ではトヨタのSUV「C-HR」のCMや、サントリーの天然炭酸水など、ゲーム関連業界以外からの仕事が増えました。

 いろんなところから仕事がくるようになって、当時遊んでいた方々が思いを込めてやっていただけているのを感じています。それだけ『ストII』が長年愛されているコンテンツなんだな思うと、自分の中では当時以上に今のほうが『ストII』に思い入れが出ていると実感しますね。

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